遅ればせながら本屋大賞 [読書]
本屋大賞も、もう8回目かあ~。
と、一度も投票したことありませんが、しみじみと思ってみたりする。
で、過去の本屋大賞受賞作をHPで確認してみたのだが、本屋で働く書店員の好みがもろ分かりで、なんか恥ずかしくなるとともに、でも「これは売れる!」とふんだ二回目以降は、単純に読んで面白かったというだけではなく、商売っ気がもちろん入っているのが見て取れ、さらに、書店員の考える一般読者層っていうのも見えてくるのであるが、それは若干はずしているんじゃないかと思ったりもする。
そんなわけで今回の大賞受賞作『謎解きはディナーのあとで』(東川篤哉/小学館)を読んでみました。
大賞をとる前からすでにヒットしていて、既刊もバンバン増刷がかかっていたので、気になりすぎて既刊のほうから読んでしまっていたから(『完全犯罪に猫は何匹必要か?』)、まあ大体こんな感じだろうなと思っていたんですが。
読んでみると、なんとなく雰囲気が違う。なんか洗練されている?というか、同じユーモアミステリーでも既刊は読者を選ぶけど、こちらは広く薦められる感じ。本をたまにしか読まない人にも、ミステリーになじみがない人も楽しめる内容だと思いました。
ミステリーはたまに読む程度という自分は、謎部分は分かりそうで分からない、ちょっとじっくり推理してもみたいけど、お嬢様刑事と成金刑事、それから毒舌執事のやり取りが面白いので先を急いで読んでしまいました。で、自分の推理が正解に少しだけ、ほんとにほんの少~しだけ引っかかっていたりして、ちょっと嬉しかったり。
ミステリーに慣れている人は、自分で答えにたどり着ける可能性高し。5分間ミステリーのようにも楽しめるのではないでしょうか。
と、一度も投票したことありませんが、しみじみと思ってみたりする。
で、過去の本屋大賞受賞作をHPで確認してみたのだが、本屋で働く書店員の好みがもろ分かりで、なんか恥ずかしくなるとともに、でも「これは売れる!」とふんだ二回目以降は、単純に読んで面白かったというだけではなく、商売っ気がもちろん入っているのが見て取れ、さらに、書店員の考える一般読者層っていうのも見えてくるのであるが、それは若干はずしているんじゃないかと思ったりもする。
そんなわけで今回の大賞受賞作『謎解きはディナーのあとで』(東川篤哉/小学館)を読んでみました。
大賞をとる前からすでにヒットしていて、既刊もバンバン増刷がかかっていたので、気になりすぎて既刊のほうから読んでしまっていたから(『完全犯罪に猫は何匹必要か?』)、まあ大体こんな感じだろうなと思っていたんですが。
読んでみると、なんとなく雰囲気が違う。なんか洗練されている?というか、同じユーモアミステリーでも既刊は読者を選ぶけど、こちらは広く薦められる感じ。本をたまにしか読まない人にも、ミステリーになじみがない人も楽しめる内容だと思いました。
ミステリーはたまに読む程度という自分は、謎部分は分かりそうで分からない、ちょっとじっくり推理してもみたいけど、お嬢様刑事と成金刑事、それから毒舌執事のやり取りが面白いので先を急いで読んでしまいました。で、自分の推理が正解に少しだけ、ほんとにほんの少~しだけ引っかかっていたりして、ちょっと嬉しかったり。
ミステリーに慣れている人は、自分で答えにたどり着ける可能性高し。5分間ミステリーのようにも楽しめるのではないでしょうか。
春のあわただしさ [読書]
4月はいつもなんだかちょっと忙しい。
職場で人事異動があったり新体制になったりしてどたばたすることに加えて、春になると毎年必ず“気分一新やり直したい!”という思いが強くなり、ビジネス系の通信講座を受講してみたり、前年途中で挫折していたラジオ語学講座をまた始めてみたり、しばらくやっていなかった趣味の洋裁がやりたくて布を買い込んでみたりする。
自分でやることを増やしすぎてしまうのだが、あわただしさを楽しみたい気持ちみたいなのもあって、それはそれでいいのだけど、本当はいつでも平常心で自分のペースを守れる生き方に憧れている。
そんなことで、4月になってから読書がぜんぜん進んでいないことの言い訳にしてみています。
そんななか読んだのが『猫の一年』(金井美恵子/文藝春秋)。
金井美恵子は好きで、以前は結構読んでいたのだが、ここのところはあまり手が出ていなかった。最近は小説よりもエッセイの出版が多くなっていたように思うのだが、この人のエッセイはかなり気合を入れないと読めないからだ。
まず、小説や映画などの知識がないと充分には楽しめない。それに、独特の文体というか言い回しのおかげで、彼女の本意がどこにあるのかがつかみにくいのだ。軽く読んでしまうとやられてしまう、というかだまされる。
だからずっと遠ざかっていたのだが、気になってはいて、目次を読んでいつもより分かるかもしれない!ということで購入した。
読んでみると、サッカーと猫の話がほとんどで、思っていたとおりいつもよりすっと入っていけた。でも、辛口っぷりは相変わらずで、メディアを通じてこちらが日々感じている、うまく言葉にはできない違和感や不快感を解き明かしてくれるさまが爽快でした。
また金井美恵子の小説が読みたくなってきた。春だし。なんか、彼女の小説は春っていうイメージがある。
ちなみに一番好きなのは『恋愛太平記』です。
ところで、最近近所で猫を見かけなくなったけど、どうしたんだろう。ここ2年くらい、ぜんぜん猫を見ないよ。
職場で人事異動があったり新体制になったりしてどたばたすることに加えて、春になると毎年必ず“気分一新やり直したい!”という思いが強くなり、ビジネス系の通信講座を受講してみたり、前年途中で挫折していたラジオ語学講座をまた始めてみたり、しばらくやっていなかった趣味の洋裁がやりたくて布を買い込んでみたりする。
自分でやることを増やしすぎてしまうのだが、あわただしさを楽しみたい気持ちみたいなのもあって、それはそれでいいのだけど、本当はいつでも平常心で自分のペースを守れる生き方に憧れている。
そんなことで、4月になってから読書がぜんぜん進んでいないことの言い訳にしてみています。
そんななか読んだのが『猫の一年』(金井美恵子/文藝春秋)。
金井美恵子は好きで、以前は結構読んでいたのだが、ここのところはあまり手が出ていなかった。最近は小説よりもエッセイの出版が多くなっていたように思うのだが、この人のエッセイはかなり気合を入れないと読めないからだ。
まず、小説や映画などの知識がないと充分には楽しめない。それに、独特の文体というか言い回しのおかげで、彼女の本意がどこにあるのかがつかみにくいのだ。軽く読んでしまうとやられてしまう、というかだまされる。
だからずっと遠ざかっていたのだが、気になってはいて、目次を読んでいつもより分かるかもしれない!ということで購入した。
読んでみると、サッカーと猫の話がほとんどで、思っていたとおりいつもよりすっと入っていけた。でも、辛口っぷりは相変わらずで、メディアを通じてこちらが日々感じている、うまく言葉にはできない違和感や不快感を解き明かしてくれるさまが爽快でした。
また金井美恵子の小説が読みたくなってきた。春だし。なんか、彼女の小説は春っていうイメージがある。
ちなみに一番好きなのは『恋愛太平記』です。
ところで、最近近所で猫を見かけなくなったけど、どうしたんだろう。ここ2年くらい、ぜんぜん猫を見ないよ。
きのこについて [読書]
きのこはわりと好きで、食卓に上る回数も多い。
特に、しいたけ、しめじ、舞茸、えのき、エリンギだろうか。ものすごく手に入りやすい種類ばかりだ。
スーパーでよく見るけれど、ほとんど買わないのはなめこ。別に嫌いなわけではないが、味噌汁に入れるくらいしか用途を思いつかないためだ。
名前が一番好きなのは“りこぼう”。しかしネットで調べてみると、“じこぼう”というほうが多数派らしいし、そもそも正式名称は“ハナイグチ”というらしい。子供のころよく親が近所の山で採ってきてくれ、味噌汁に入れて食べた記憶があるが、どういう味だったかは覚えていない。
きのこにまつわる忘れられない思い出といえば、これもまた子供のころ、家族と親の友人一家とともに少し遠くの山にきのこ狩りに行ったときのこと。
昼の休憩で弁当も食べ終わり、親たちはカラオケを始めていた。子供はそばにあった牧場で遊んでいた。
よくは覚えていないが、なぜか放し飼いにされていた牛がいて、間近で見ていた記憶がある。牛の鼻先を飛び回るハエがうっとうしく、なんだかかわいそうな気もして、手折った草でハエを追い払ってやろうとしたところ、牛に頭突きを食らわされ、泣きながら走って逃げた。
だからといってきのこを嫌いになるわけではなく、むしろ好きで、きのこ型やきのこ柄のものにはちょっと心惹かれはするけれど積極的に買い集めるというほどではないきのこ好きだが、店先で心奪われ衝動買いしてしまった本があります。
『きのこ文学名作選』(飯沢耕太郎編/港の人)。編者の飯沢耕太郎といえば写真評論家というイメージが強いのだけど、最近はなんかきのこの話ばっかりしているなあ。
内容は、日本文学できのこがテーマというか、重要なモチーフになっている短編を集めたアンソロジーです。
萩原朔太郎から始まり、夢野久作、加賀乙彦、中井英夫、さらには今昔物語や狂言まで入ってバラエティーにとんでいて、ほとんどの作者が初体験だったが、ほかのも読んでみたいと思わせられるくらい面白かった。
中でも、村田喜代子と高樹のぶ子の二人は、かなりよかった。すでに作品もかなり多い大御所なので、これからの入門は難しそうだけど、でも読みたいなあ。
この本、装丁もかなり凝っていて、絶対重版できないだろうと思わせられます。表紙の作りだけでなく、作品ごとにレイアウトやフォント、紙まで変えていたりして、祖父江慎がやりたいようにやりまくった感が出ています。
全部読まなくても、なんか持っておきたい本。
特に、しいたけ、しめじ、舞茸、えのき、エリンギだろうか。ものすごく手に入りやすい種類ばかりだ。
スーパーでよく見るけれど、ほとんど買わないのはなめこ。別に嫌いなわけではないが、味噌汁に入れるくらいしか用途を思いつかないためだ。
名前が一番好きなのは“りこぼう”。しかしネットで調べてみると、“じこぼう”というほうが多数派らしいし、そもそも正式名称は“ハナイグチ”というらしい。子供のころよく親が近所の山で採ってきてくれ、味噌汁に入れて食べた記憶があるが、どういう味だったかは覚えていない。
きのこにまつわる忘れられない思い出といえば、これもまた子供のころ、家族と親の友人一家とともに少し遠くの山にきのこ狩りに行ったときのこと。
昼の休憩で弁当も食べ終わり、親たちはカラオケを始めていた。子供はそばにあった牧場で遊んでいた。
よくは覚えていないが、なぜか放し飼いにされていた牛がいて、間近で見ていた記憶がある。牛の鼻先を飛び回るハエがうっとうしく、なんだかかわいそうな気もして、手折った草でハエを追い払ってやろうとしたところ、牛に頭突きを食らわされ、泣きながら走って逃げた。
だからといってきのこを嫌いになるわけではなく、むしろ好きで、きのこ型やきのこ柄のものにはちょっと心惹かれはするけれど積極的に買い集めるというほどではないきのこ好きだが、店先で心奪われ衝動買いしてしまった本があります。
『きのこ文学名作選』(飯沢耕太郎編/港の人)。編者の飯沢耕太郎といえば写真評論家というイメージが強いのだけど、最近はなんかきのこの話ばっかりしているなあ。
内容は、日本文学できのこがテーマというか、重要なモチーフになっている短編を集めたアンソロジーです。
萩原朔太郎から始まり、夢野久作、加賀乙彦、中井英夫、さらには今昔物語や狂言まで入ってバラエティーにとんでいて、ほとんどの作者が初体験だったが、ほかのも読んでみたいと思わせられるくらい面白かった。
中でも、村田喜代子と高樹のぶ子の二人は、かなりよかった。すでに作品もかなり多い大御所なので、これからの入門は難しそうだけど、でも読みたいなあ。
この本、装丁もかなり凝っていて、絶対重版できないだろうと思わせられます。表紙の作りだけでなく、作品ごとにレイアウトやフォント、紙まで変えていたりして、祖父江慎がやりたいようにやりまくった感が出ています。
全部読まなくても、なんか持っておきたい本。
2時間ドラマにはコメディが [読書]
2時間ドラマが好きでよく観ている。
普通に夜やっているのはもちろん、昼間に再放送しているものも録画してチェックしてしまうくらい好きだ。
なかでも土曜ワイド劇場はいい。大作あり、シリアスあり、コメディありとラインナップのバランスがいい。でもやっぱり2時間ドラマにはちょっとコメディ寄りなのが最もよくあうと思っている。
ミステリーはたまにしか読まないのだが、読み終わってみると、これ、2時間ドラマにしたらいいんじゃないか?と思ってしまうような作品を選びがちだ。
『完全犯罪に猫は何匹必要か?』(東川篤哉/光文社文庫)もそうした作品。
著者は最近『謎解きはディナーのあとで』で大ブレイク中のかた。
今相当売れているので、ここはやっぱりチェックしなくてはと思っていたところ、文庫化されている既刊が大量に入荷していた。
それならまずは試しに文庫でということで、タイトル買いしたのがこの『完全犯罪に猫は何匹必要か?』。
内容は題名からイメージしていたものとはかなりかけ離れていたけれど、この軽すぎるといっていいほどのコメディ感に見事にはまって満足の一冊だった。
裏表紙のあらすじでは“本格推理とユーモアの妙味が、新しいミステリーの世界に、読者を招く!”とのことで、謎解きに関しては本格寄り。オチは正直ちょっと苦しいかも…と思えることろがあったものの、ユーモア部分(?)でぐいぐい引っ張られて、ちょっと長いなと感じはしたものの最後まで一気に読んでしまった。
で、読む人によって好き嫌いが真っ二つに分かれそうな作品だと思いますが、2時間ドラマにはぴったりなんじゃないでしょうか。主演:高橋克実あたりで、土曜ワイド劇場でやってくれないかなあ。
普通に夜やっているのはもちろん、昼間に再放送しているものも録画してチェックしてしまうくらい好きだ。
なかでも土曜ワイド劇場はいい。大作あり、シリアスあり、コメディありとラインナップのバランスがいい。でもやっぱり2時間ドラマにはちょっとコメディ寄りなのが最もよくあうと思っている。
ミステリーはたまにしか読まないのだが、読み終わってみると、これ、2時間ドラマにしたらいいんじゃないか?と思ってしまうような作品を選びがちだ。
『完全犯罪に猫は何匹必要か?』(東川篤哉/光文社文庫)もそうした作品。
著者は最近『謎解きはディナーのあとで』で大ブレイク中のかた。
今相当売れているので、ここはやっぱりチェックしなくてはと思っていたところ、文庫化されている既刊が大量に入荷していた。
それならまずは試しに文庫でということで、タイトル買いしたのがこの『完全犯罪に猫は何匹必要か?』。
内容は題名からイメージしていたものとはかなりかけ離れていたけれど、この軽すぎるといっていいほどのコメディ感に見事にはまって満足の一冊だった。
裏表紙のあらすじでは“本格推理とユーモアの妙味が、新しいミステリーの世界に、読者を招く!”とのことで、謎解きに関しては本格寄り。オチは正直ちょっと苦しいかも…と思えることろがあったものの、ユーモア部分(?)でぐいぐい引っ張られて、ちょっと長いなと感じはしたものの最後まで一気に読んでしまった。
で、読む人によって好き嫌いが真っ二つに分かれそうな作品だと思いますが、2時間ドラマにはぴったりなんじゃないでしょうか。主演:高橋克実あたりで、土曜ワイド劇場でやってくれないかなあ。
休日のたびに雪が降る [読書]
仕事がら土日休みとはゆかず、休みは平日になるのだが、休日のたびに雪が降り、家にずっとこもっているいい言い訳となっている。
今朝も八時に目が覚めたが、雨というか雪。ということでもうひと寝入りして、結局起きたのは昼近く。
雪はもう雨になっていたが、少しだけ残していた『雪の練習生』(多和田葉子/新潮社)を読んだ。
帯のコピーは“その子を「クヌート」と名づけよう。”。
しかしあの子熊のクヌートから想像されるような、愛らしかったりかわいかったり、ほのぼのするような話ではない。暗く、悲しさにつつまれた物語だった。
登場するのは、サーカスの花形から作家に転身した一代目の熊、その娘で同じくサーカスで曲芸を演じたトスカ、そしてその息子で世界的アイドルとなったクヌート。
人間にまじって作家生活を送る一代目熊や、曲芸のパートナーである人と不思議な心の対話をするトスカ、そして人間の心を持ったようなクヌートと、単なる熊の擬人化とは違う、おとぎ話のようなファンタジーのような、でもその手前でぎりぎり踏みとどまっているような不思議な読み心地がなんともいえない。
その心地よさとは裏腹に、熊たちやそれを取り巻く人々の抱える喪失感や孤独感が物語を覆いつくしていて、なんか心温まる話かな~という予想を打ち砕かれる。
多和田葉子の作品には、どこにも属していない者、今いる場所の確かさを疑っている者が常に登場する。その足もとのあやふやな感じを求めてつい手にとってしまうのだが、この『雪の練習生』はその期待を見事に超えた。とても面白かった。
ところで、表紙を見たときに感じた、クヌートの話ならもっとかわいい装丁にすればいいのにという感想は、読んでみるとなるほど納得の感じなのだが、それにしてもいくらなんでも、少しかわいくなさ過ぎなのでは。裏表紙の写真は結構いいんだけど。
今朝も八時に目が覚めたが、雨というか雪。ということでもうひと寝入りして、結局起きたのは昼近く。
雪はもう雨になっていたが、少しだけ残していた『雪の練習生』(多和田葉子/新潮社)を読んだ。
帯のコピーは“その子を「クヌート」と名づけよう。”。
しかしあの子熊のクヌートから想像されるような、愛らしかったりかわいかったり、ほのぼのするような話ではない。暗く、悲しさにつつまれた物語だった。
登場するのは、サーカスの花形から作家に転身した一代目の熊、その娘で同じくサーカスで曲芸を演じたトスカ、そしてその息子で世界的アイドルとなったクヌート。
人間にまじって作家生活を送る一代目熊や、曲芸のパートナーである人と不思議な心の対話をするトスカ、そして人間の心を持ったようなクヌートと、単なる熊の擬人化とは違う、おとぎ話のようなファンタジーのような、でもその手前でぎりぎり踏みとどまっているような不思議な読み心地がなんともいえない。
その心地よさとは裏腹に、熊たちやそれを取り巻く人々の抱える喪失感や孤独感が物語を覆いつくしていて、なんか心温まる話かな~という予想を打ち砕かれる。
多和田葉子の作品には、どこにも属していない者、今いる場所の確かさを疑っている者が常に登場する。その足もとのあやふやな感じを求めてつい手にとってしまうのだが、この『雪の練習生』はその期待を見事に超えた。とても面白かった。
ところで、表紙を見たときに感じた、クヌートの話ならもっとかわいい装丁にすればいいのにという感想は、読んでみるとなるほど納得の感じなのだが、それにしてもいくらなんでも、少しかわいくなさ過ぎなのでは。裏表紙の写真は結構いいんだけど。
平行読み [読書]
今読んでいる本がなかなかはかどらないときっていうのは、他に読みたい本をたくさん見つけてしまいやすい。
ただそんなときは、何でもいいから“これを読み終わったあ!”っていう達成感というか、実績というかがほしいから、読みたい本の中でも読み応えのありそうなものではなく、2~3時間で読み終われそうなものをつい買ってしまうことが多い。
先日読んだ『くすぶれ!モテない系』はまさにそんな本で、実際に数時間で読み終えたし、内容も面白かったのでよかったのだが、問題はそれを買うときだ。
書店で働いているので自分の職場で本を買うのだが、レジにその本を持っていくことがためらわれた。“モテない系”とか書いてあるし、大丈夫かしら。“モテとか気にするんだー”とか他のスタッフに思われたら超恥ずかしいじゃん、と。
そんなときはつい、さらにもう一冊別の本を一緒に買ってしまう。しかもこれをレジに持っていけば本読んでるっぽいって思ってもらえそうな感じのものだ。『モテない系』はついでなんですよ~っていう感じを装うわけです。
そしてそのような本はたいてい読み応えのありそうな本で、ただでさえはかどらない本を一冊抱えているというのに、こうして家にはまだ読んでいない本があふれていくのです。
で、今、読み応えのありそうなものを二冊平行して読む羽目になっています。
『死の床に横たわりて』(フォークナー/講談社文芸文庫)と『雪の練習生』(多和田葉子/新潮社)。ちょっとずつ交互に読むのも、なかなかおつなものです。
ただそんなときは、何でもいいから“これを読み終わったあ!”っていう達成感というか、実績というかがほしいから、読みたい本の中でも読み応えのありそうなものではなく、2~3時間で読み終われそうなものをつい買ってしまうことが多い。
先日読んだ『くすぶれ!モテない系』はまさにそんな本で、実際に数時間で読み終えたし、内容も面白かったのでよかったのだが、問題はそれを買うときだ。
書店で働いているので自分の職場で本を買うのだが、レジにその本を持っていくことがためらわれた。“モテない系”とか書いてあるし、大丈夫かしら。“モテとか気にするんだー”とか他のスタッフに思われたら超恥ずかしいじゃん、と。
そんなときはつい、さらにもう一冊別の本を一緒に買ってしまう。しかもこれをレジに持っていけば本読んでるっぽいって思ってもらえそうな感じのものだ。『モテない系』はついでなんですよ~っていう感じを装うわけです。
そしてそのような本はたいてい読み応えのありそうな本で、ただでさえはかどらない本を一冊抱えているというのに、こうして家にはまだ読んでいない本があふれていくのです。
で、今、読み応えのありそうなものを二冊平行して読む羽目になっています。
『死の床に横たわりて』(フォークナー/講談社文芸文庫)と『雪の練習生』(多和田葉子/新潮社)。ちょっとずつ交互に読むのも、なかなかおつなものです。
くすぶってる以下 [読書]
『くすぶれ!モテない系』(文春文庫)を読んだ。
「CanCamやViViを読めないすべての女子たちに捧ぐ-」という帯のコピーに惹かれたからだ。
帯の裏表紙側にも、もうそれだけで著者と分かりあえそうなコピーがいっぱいだ。もてるために何かをするということにものすごく抵抗がある、モテ子にちょっとあこがれたり、あこがれつつも逆に見下してみたりする、ピンクが着れない…。
ああ、そうだよそうだよ、子供のころからピンクは着れないしスカートは穿けないし、髪の毛は伸ばせないし、セーラー服のタイは大きく結べないし、授業中の手紙交換や長電話もできなかったよ。成人式では振袖を着たくなかったなあ。ここまでくるとモテない系と関係あるのかどうかもよく分からないが。
もうとにかく、女の子らしく振舞うことへの抵抗感といったらなかったね。
女の子らしく振舞っているのを人に見られたくないというか、そう振舞うことで「かわい子ぶりやがって」とか「色気づきやがって」とか思われるのを、すごく恐れていた節がある。
きっと「女の子らしく振舞う=男に媚びる」と感じていたんだろうな。ませていたんだね。そして、ひねくれていた。今になってみれば、女の子らしく振舞うというのは、決して男に媚びることとはイコールではないと思うし。
そして昨日の話に戻るけど、誰も自分のことなんかそんなに気にしてないっての。自意識過剰だよ。
で、この『くすぶれ!モテない系』はそんな自意識過剰すぎて身動きが取れなくなっているモテない系、要は文科系女子をくさしているエッセイで、とても面白かったです。
面白おかしく書いているようだけど、巻末の漫画家・久保ミツロウさんとの対談なんか読むと、もう少しだけエグイとこまで踏み込んだ感じで、より痛みとともに共感できました。
でも、読んでるうちに、自分はモテない系どころではなく、モテない系のさらに下に位置する“圏外ちゃん”であることに気付き、なんかもう地獄。
「CanCamやViViを読めないすべての女子たちに捧ぐ-」という帯のコピーに惹かれたからだ。
帯の裏表紙側にも、もうそれだけで著者と分かりあえそうなコピーがいっぱいだ。もてるために何かをするということにものすごく抵抗がある、モテ子にちょっとあこがれたり、あこがれつつも逆に見下してみたりする、ピンクが着れない…。
ああ、そうだよそうだよ、子供のころからピンクは着れないしスカートは穿けないし、髪の毛は伸ばせないし、セーラー服のタイは大きく結べないし、授業中の手紙交換や長電話もできなかったよ。成人式では振袖を着たくなかったなあ。ここまでくるとモテない系と関係あるのかどうかもよく分からないが。
もうとにかく、女の子らしく振舞うことへの抵抗感といったらなかったね。
女の子らしく振舞っているのを人に見られたくないというか、そう振舞うことで「かわい子ぶりやがって」とか「色気づきやがって」とか思われるのを、すごく恐れていた節がある。
きっと「女の子らしく振舞う=男に媚びる」と感じていたんだろうな。ませていたんだね。そして、ひねくれていた。今になってみれば、女の子らしく振舞うというのは、決して男に媚びることとはイコールではないと思うし。
そして昨日の話に戻るけど、誰も自分のことなんかそんなに気にしてないっての。自意識過剰だよ。
で、この『くすぶれ!モテない系』はそんな自意識過剰すぎて身動きが取れなくなっているモテない系、要は文科系女子をくさしているエッセイで、とても面白かったです。
面白おかしく書いているようだけど、巻末の漫画家・久保ミツロウさんとの対談なんか読むと、もう少しだけエグイとこまで踏み込んだ感じで、より痛みとともに共感できました。
でも、読んでるうちに、自分はモテない系どころではなく、モテない系のさらに下に位置する“圏外ちゃん”であることに気付き、なんかもう地獄。